【感想】にんげん「杏山カズサのトリセツ」(にんげんっていいな)

名作。先生に対する恋情とアイリに対する羨望に懊悩し、先生との関係を断ち切ろうとしたカズサの話。
本作の魅力は杏山カズサの心情描写にあり先生に対して恋情を抱きながらも巧妙に隠す内面が掘り下げられる。
本当は先生と恋仲になりたいがそこまで踏み込むことが出来ず肉欲で関係を繋ぎとめている(と思い込んでいる)。
一方でカズサは部活仲間であるアイリに対して尊敬と憧れと羨望の念を抱いており劣等感の原因となっていた。
中学時代不良であったカズサが足を洗ったのはアイリのようなキラキラした女の子になりたかったからであった。
だがそんなアイリが先生を思慕していることをカズサは知ってしまい、それが故に自分は身を引こうとするのだ。
先生はカズサとの関係を言葉にしないだけで肉欲だけのものとは思っておらず大切なものとして大事にしていた。
今回カズサが先生から離れて行こうとしたことをきっかけにきちんと言葉にしてカズサとの絆を確固たるものとする。

素直に求めることが出来ない臆病な自尊心・対人関係における懊悩・自己と他者を比較する劣等感

キラキラの象徴であるアイリに対する尊崇・憧憬・羨望

本作は杏山カズサの複雑な内面に焦点を当て、揺れ動く思春期の感情を丁寧に掘り下げている作品である。杏山カズサは先生と深い仲になるも、直接好きと言うことができず、セフレのような関係を続けており表面的には飄々とした仕草をしていた。勿論先生は肉体的な関係だけでなく本当にカズサを愛していたのだが、カズサがそれを聞き入れようとしないことを分かっており、だからこそ正式な恋人関係になることなくズルズルと身体を重ねていた。

そんな二人の関係を変えることになるきっかけがアイリの存在であった。ネット上のミームや分かりやすい記号が求められるファンアートでは、カズサはアイリに対してレズ的な感情を覚えている偏愛少女として描かれることが多い。だが本作では中学時代に不良だったカズサが憧れたキラキラの象徴としてアイリが解釈されることになる。すなわちカズサにとってアイリは尊崇・憧憬・羨望だったのである。そしてそれが彼女の劣等意識を形作っていた。それ故、アイリが先生に好意を抱いていることを知ると、自分は身を引こうとするのである。

カズサ個人が大切だとストレートに伝えることで閉ざされた心を開く

碌々先生に事情を説明することなく一方的に関係を断絶させようとするカズサ。だが我らが先生がそんな状況を受け容れるだろうか。(いや決して受け入れることは無い)。それ故、先生はカズサを探し回るのである。カズサを見つけ出した時、先生はカズサとの絆を結び直す。先生はこれまで都合の良い女として振る舞うカズサに甘えているところがあったと謝罪し、何も言わなくても自分の愛情は伝わっていると無意識的な忖度を求めていたことを反省する。

閉ざされたカズサの心を開く為には二つのことが必要で、まず何よりもカズサという個人を求めていることを伝える事。カズサ「が」いいんだ(カズサじゃなきゃダメなんだ)と誠心誠意告白する。そして第二段階はアイリに対する劣等意識を払拭すること。カズサはアイリを引き合いにだし、先生に選択を求めるムーブを取る。そんなカズサに対し他の誰かになろうとしなくていいんだよと優しく諭すのだ。作中では台詞外のト書きでカズサの本心を描くという演出しており、カズサの複雑な心情描写を表すのに情緒深さを生んでいる。

こうして先生に受け容れられたカズサは、今まで何度も身体を重ねていたが、今度は恋人同士としてラブラブえっちを重ねることになる。カズサは何度も先生に愛情の確証を求めるが、それが果たされると、初めて心身ともに満足し、先生と身を寄せ合うことが出来た。カズサという少女の面倒くさい側面をミームや弄りなどではなく、正面から向き合って描ききった名作である。

イチャラブえっち