イノセントガール 綾代かがり√の感想・レビュー

イノセントガールのかがりシナリオは「才能と個人」をめぐる問題。
無表情系天才肌芸術ヒロインが求めたのは才能の評価ではなく人格の承認。
天才として特別視されることを嫌う少女自身を肯定せよ。
個別の序盤まではかなり面白かったのですが、途中でシナリオが失速。
「両親問題」と「セカイ系の否定」はご都合主義満載で少し残念かもしれません。

綾代かがりのキャラクター表現とフラグ生成過程


  • 才能と個人をめぐる問題
    • 綾代かがりは無表情系天才芸術ガール。その才能のため周囲からは線を引かれています。かがりは皆が自分の才能やその才能から生み出される作品ばかりを気にして、自分の人格をおざなりにすることに対して不快感を感じていました。この序盤で扱われる「才能と個人をめぐる問題」のテーマはすごく面白いです!!主人公くんは自分が挫折者であり才能と向き合わなかったため己に「普通」というレッテルを貼り付けることで人生を誤魔化して生き延びてきました。そんな主人公くんが地雷スイッチを踏み、天才に対する劣等感を押さえ込んで努力してきた芸術科の生徒達の惨めさを噴出させてしまったところなどは思わずのめり込んで読み込んでしまうほどでした。そしてその後のかがりの断罪もステキ。また主人公くんがかがりの本質を理解せず、デートがご機嫌取りの接待になってしまっただけの所とかは展開の仕方が上手いなぁと。かがりが自分の人格を主人公くんが好きになってくれたと思ったら、主人公くんもまたかがりを絵を描く装置として才能を大事にしているだけではないのかと疑心暗鬼になる所はウザ可愛さが炸裂しますね。

自分の才能を受け入れられなかった俺は極力普通の人間であろうとしてきた。普通の学園に進学し、芸術と距離を取り、一般の若者として生活し。綾代のことを芸術家−特別な存在として扱ってきた。それも「天才」として自分とは違うと遠ざけて。奇行をしても芸術家だからとカテゴリーに押し込めてきた。それを俺は教室のみんなにも強いてしまったのか−。“あいつは天才だから仕方がない”そうして天才を妬むことは逆に「自分自身は凡人である」と暗示させる行為でもある。そんなことを俺は芸術家を目指す人間達にさせてしまったのだ。みんなずっと、心の奥底で煮えたぎらせ−それでもフタを頑張ってきたものを俺の不用意な発言が開けてしまったのだ。嫉妬のフタを開き、普通のレッテルを自らに貼る行為を俺が助長したのだ。


  • 親子問題があっさり解決・・・
    • いやね、親子問題がかなり深刻に伏線が張られるんですよ。それは主人公くんが「かがり」という少女を気になり出したきっかけにもなっているんです。しかもかがりの好物である「グミ」にも由来する重要なテーマ設定。私生活を気にしないかがりを、好物であるグミでコントロールし、「言うことを聞かなかったらグミを与えてください」という両親からの指示に主人公くんは憤りを覚えるのですよ。このことを契機にかがりに安易にグミを与えず、個人としての成長を促すようにするのが、かがりシナリオの醍醐味であったにもかかわらず!!!かがりの父と母はただ娘を溺愛するだけの善良な?両親っていうのは説得力がないというか、今までに丁寧に築き上げてきたものが崩壊された気分です。「かがりがスランプになったので娘を独り学園寮にいれて今まで会いに来ていない」とか深刻ぶって描写がなされるのに、「ただ心配になって見に来た」とかー。いや確かに主人公くんと付き合うことで絵の質が変わりクライアントからリテイクくらうことが多くなったとは述べられていますけれども。「ただ心配になって見に来た」だけだったら今までにも来るだろ−とか思いました。なんか『遥に仰ぎ、麗しの』の梓乃√の親御さんにあっさり受け入れられた時の感覚といえばご理解して頂けるでしょうか?もうちょっと才能にしか興味のない両親に主人公くんが働きかけることによって才能ではなく個人としての人格を認めるとかいう展開になっても良かったと思われます。



  • セカイ系の否定
    • 世界がどうなっても貴方と私の関係性が全てでそれでいいという考え方がもてはやされた時期もありました。しかしそんなセカイ系は社会の否定。二人だけの寂しい幸せなど願い下げだ!!というのが昨今の情勢です。二人の関係だけに収束させようとするかがりに対して、主人公くんは否を唱えます。自分たちの関係は、家族や仲間、クラスメイトや世間によって構成されているのだと。今まで天才のレッテルを貼られ、孤独を孤高と読み替えて、才能で薙ぎ払ってきたかがりさん。そんなかがりさんが、自分独りの無力さを悟り、他者を求めるようになるのです!助けて!!と。ここで主人公くんの活躍によってサルトルでいうところのアンガージュマンが発動します。人間は社会に参加することによって一定の状況の中に自己を拘束すると同時に、その社会を自らの自由な行為によって新しい状況へと作り変えていくのです。芸術家クラスのみんなが集合し、文化祭の展覧会に向けて共同製作を成し遂げていきます。こうしてかがりは孤独な天才から、みんなから愛される少女へと成長したのでした。