「ギャングスタ=アルカディア〜ヒッパルコスの天使〜(体験版)」の感想・レビュー

ギャングスタ=アルカディア形而上学的存在の人間への介入。
人類が営む生活に対して、神や天使が介入することは、人間が主体性を喪失するということ。
例え人間が誤った道のりを進み、滅亡してしまうとしても、滅びるに任せれば良い。
主体性を無くすが故に滅亡へと辿る人間を救おうとする行為が人間に主体性を失わせるというのが重要。
フジリュー版封神演技などに見られるような「作られた箱庭への反逆」は面白いなぁ。


  • 人類の主体性の喪失
    • 文明社会が発展すると人々は享楽に甘んじるようになり発展性を失っていきます(この作品ではそれを“ループ”で表現し何度でもやり直せることで主体性を喪失していくとしています。)。人々は瞬間ごとの欲望に対する判断はするでしょうが、将来に対して深刻な苦悩や煩悶が伴う「選択」を行わなくなっていくというのです。いうなれば動物化であり、目先の記号に対して条件反射的に欲望を満たしているだけに過ぎなくなるのです。将来に対しての選択は過去の自分をも省みること。つまり「選択」が行われなければ人々は未来もなくなり過去もなくなり瞬間ごとの現在にのみ生きるようになるのです。それはまさに主体性の喪失。欲望換気装置に煽られて本能的な快楽を貪るためだけに生きるということは、ホントウに生きていることといえるのでしょうか?(イヤ・イウコトハデキマイ・反語)



  • ディベート・バトルで主体性の恢復
    • 「主体的な人生の選択」・・・それが人間が社会を発展させるための必要条件です。しかし日本の文化は「甘えの構造」という側面があります。「人々が他人との一体感を持ち、それぞれの好意に頼り・頼られることで成り立つ、依存心の強い文化」だと言えるのです。前作の『ギャングスタ・リパブリカ』では日本にありがちな一体感を求めるための「同調圧力」を否定するため、それぞれが自分の思想・信条を引っさげて討議を繰り広げました。自分たちが信ずる思想を言語によって表現するということは一見すると口げんかや口論に見えるのですが、実はそれは「対立」ではなく相互理解のための第一歩なのです。日本人特有の「空気を読む」事は主体性の喪失に他ならない。そんなわけで本作『ギャングスタアルカディア』では自分の考えを言語で表現する訓練として「ディベート」が取り上げられます。自分の意見を相手に納得させるための論戦を行うことで、思考や思索を深めさせようという狙いがあるのですね。こうしてディベート・バトルを行うことで主体性の恢復を行い人類の衰退を防ごうというのです。壮大だ。


  • 形而上学的存在に対する人類の反抗
    • ここまでで「主体性の恢復により人類の衰退を防ぐ」という物語の目的のうちの一つが提示されましたが、この作品にはもう一つのテーマが存在しています。それは「形而上学的存在の人類への介入」です。つまりは、天使や神といった存在が人間を滅亡させないために手を貸すというのは人類への冒涜だというのです。いくら善意に溢れていたとしてもそれは偽善に過ぎないということ。人間が滅びるというのなら、それが人類の運命であり、滅びるに任せれば良いというのです。そしてそれがイヤだというのなら、あくまでも人類の中からそういった想いが出るべきであり、形而上学的存在は引っ込んでいろ!との論が展開されていきます。ここですごく面白い構造になっていることに皆さんはお気づきでしょうか?つまり、「主体性の喪失」により人類が衰退するので形而上学的存在が介入してきているのに、形而上学的存在が人類を導けば人類の主体性は喪失されるという矛盾を孕んでいるのですね。さぁシャールカ先輩と共に天使の矛盾点を指摘をし、人類の反抗を始めましょう!と体験版は終了です。