雑録

ウスリー江以東の沿海州

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国家は創られた産物であり、国境という概念は西洋起源の主権国家体制によるものである。
イスラーム世界や東アジア世界では主権国家体制とは異なる国際秩序が敷かれていた。
そのため、西洋列強は主権国家体制に組み込むため国境画定条約を締結していく。



東大世界史が高校生に要求していることは実に面白いと思うわ。
あくまでも国境はニンゲンが設定したものに過ぎないということね。
問題のテーマはウスリー江以東の沿海州がロシア領となった経緯だけれども・・・
中国とソ連珍宝島(ダマンスキー島)をめぐって争ったことが想起できるだろうし、
領土をめぐる紛争が発生したそもそもの原因を考えさせる問題になっているわね。



と、いうわけでウスリー江以東の沿海州について見ていきましょう。
まずウスリー江以東の沿海州をめぐる問題で大活躍するのがムラヴィヨフ。
初代シベリア総督でロシア領の拡大に努め、アイグン条約・北京条約の交渉の場で活躍します。
二つの条約とウスリー江以東の関係を説明できる?



二つともアロー戦争を利用して結んだ条約です。
まずアイグン条約は英仏がアロー戦争を起こし清朝が苦しむところに付け込んで締結されます。
ここでは黒竜江以北がロシア領となり、ウスリー江以東は領国の共同管理となりました。



続いて、アロー戦争の調停の代償として結んだのが北京条約(清・露)です。
北京条約は二つあるので注意が必要です。
「英仏と清朝の間で締結されたアロー戦争の講和条約」と「ロシアがその代償として清朝と結んだ」北京条約です。
受験生はこれをごっちゃにしやすいのですね。
この露清間の北京条約でウスリー江以東をロシアが獲得することになりました。
こうして現在の中国とロシアとの国境が画定したのですね。



こういう国際秩序の諸問題を現代のアクチュアルな問題に繋がるので、世界史って勉強させる必要があるなぁと思います。