雑録

「高遠城址公園さくら祭り」を利用した近世史の学習(100名城No.30)

みなさん、こんにちは。
一応、学芸員の資格を持ってまして博物館とか行くの好きなんですよ。
しかしこれを物見遊山的な時間潰しで終わらせたくないと思ったわけで・・・
「地域社会の歴史と文化の学習」に活かせないかと考えています。

学習指導要領でも推奨されているしね。
そんなわけで「高遠城址公園さくら祭り」で高校の授業に使えそうなもの。
(※現在の教科書の時代区分では織豊政権を近世として扱っています)

高遠城といったら織田信長武田信玄の政略結婚ネタが鉄板

高遠城の戦い」というと良くドラマとか小説とかゲームのネタにされます。
それは織田信忠と信玄の娘;松姫の婚姻関係をめぐる悲劇。
『女風林火山』や『Campus 〜桜の舞う中で〜 』の中で扱われましたね。

ざっくばらんに解説すると以下のとおり。
信長と信玄は政略結婚のため、織田信忠(信長の長男)と松姫(信玄の娘)を結ばせます。
しかし信玄死後、長篠の戦いで敗れて衰退した武田勝頼の領地へ信長が侵攻を開始します。
いわゆる甲州征伐というやつですね。
この甲州征伐において武田勢はことごとく逃亡をしてしまうのです・・・。

このような中で徹底抗戦がなされたのが、この高遠城の戦いだったわけです!
松姫の実兄である仁科盛信(信玄の五男)が武田武士としての戦い抜きます。
盛信と松姫の兄妹愛や、婚姻関係にあった松姫の領地に侵攻する信忠の思い・・・。
そんなわけでドラマやゲームの脚本のネタになりやすいのでしょう。
そして高遠城に植えられているコヒガンザクラの赤み。
これは仁科盛信が流した血の色だ!といういわくつきです。眉唾ですが。

そんなわけで織豊政権の学習をする際に甲州征伐を扱う際には
高遠城址公園」を取り上げながら授業を展開できるかと思います。

 

高遠町保科正之大河ドラマにしたがっている

高遠城址公園に行ったついでに、歴史博物館などにも行ってきましたが・・・。とにかく大プッシュされているのが保科正之。江戸期において高遠藩は主に内藤氏が長期間支配しましたが、なぜか保科正之をオシオシ状態でした(保科正之は21歳で高遠藩主→→26歳で最上山形へ転封)。

受験日本史において保科正之というと徳川4代家綱の補佐として有名ですが、高遠藩に縁があったなんて初めて知りました。用語集にも「会津藩主」が肩書きですしね。パンフによると少年期〜青年期を高遠で過ごしているようです。保科正之は秀忠の妾「お静」の子で、家光の異母弟。秀忠の正室のお江の介入を避けるために見性院(信玄の娘)の庇護を受け、7歳の時に高遠藩保科家へ養子に出されたそうな。

4代家綱は保科正之に支えられて文治政治を展開します。
家綱の政治と言えば以下のことを思いだそう。
末期養子の禁の緩和、殉死の禁止、明暦の大火の江戸整備、寛文検知など。

影の薄い徳川6代家宣(イエノブ)と7代家継(イエツグ)の学習につかえる(かもしれない)絵島事件

受験生に徳川歴代将軍を言わせると5代まではスラスラ言えます。しかし、6代・7代でつまる。6代・7代は短命・幼少であり新井白石の正徳の政治の方が印象深いからかもしれません。そんな6代・7代を覚えるのに役立つかもしれないエピソードとなるのが絵島事件です。「絵島」とは人名であり、歴史博物館にはその「絵島」が流罪となり囚われていた「囲み屋敷」が残っています。

絵島は家宣の側室である月光院に仕えた女中。大奥の最高位大年寄まで出世します。家宣が死去すると、側室であった月光院が産んだ子が7代将軍家継として即位します。将軍の生母となりイケイケかと思われる月光院でしたがあくまでも側室。家宣の正室;天英院のグループと対立することになり、大奥内で派閥闘争が繰り広げられることになったのです。

乱れた大奥は粛正を受けることになったのですが、これに利用されたのが家宣側室月光院に仕えた絵島事件だったのです。絵島は月光院の代参として家宣の墓参りに出かけるのですが、帰りに芝居を見て帰城時刻に遅れてしまいます。これが口実となり大規模な粛正が実施されました。絵島は当初、死罪だったのですが、高遠藩に遠流となり牢獄のような囲み屋敷で暮らすことになりましたとさ。


オマケ
高遠名物ローメンなる食べ物。
ラーメンを作ろうとしたが冷蔵庫がなかった当時、生麺を保存できず、編み出されたのがローメンなる食べ物だったのだとか。普通はヒツジの肉を入れるらしい。