雑録

『夜巡る、ボクらの迷子教室』(体験版)の感想・レビュー

理想高い教員が名のあるエスカレーター式私立で挫折し、定時制高校で社会不適合者に教育を施す話。
典型的な少女救済モノであり、少女たちを救済するなかで、主人公くんが肯定され救済されるパターン。
若き教員の理想と現実のギャップ。懊悩や煩悶が実によく描かれています。若い教員あるある。
救済の対象となる少女たち=現代日本が抱える社会的問題の一事例となっており、それをどう解決するか。
強権的な父親に反発し、亡き母に刷り込まれた教員の理想像を主人公くんがどのように昇華できるかが楽しみ。

雑感

  • 名の通ったエスカレーター式私立の絶望感
    • 学習意欲が低く、世の中を舐め切った、プライドばかり高いこども。彼らはカネで大学に入ります。エスカレーター式私立の場合、学校の成績が大学進学の条件となりますが、それは非常に緩いものです。一般受験をして大学に入学してくる人たちが可愛そうになるくらい。エスカレーター式私立の生徒は大学側からは確実に学校にカネを入れてくれる学費納入マシーンとしてみなされています。彼らが払ったカネを用いて研究をしたり、有能な生徒に奨学金を与えて引き抜くのです。そのため学費納入マシーンである生徒たちは大学に邪魔にならない程度の知能さえあれば良いのです。生徒たちは大学受験の勉強をしなくとも良いのですから学習意欲が著しく低いです。学校側の宣伝文句では、大学受験に使う時間がなく余裕があるので様々な活動ができる!!とか美辞麗句を並べ立てます。しかし生徒たちは社会活動について非常に消極的です、無関心です。彼らは遊ぶことしか頭になく、問題を起こしてもどーせ誰かが救ってくれるだろう。カネを払えば救ってもらえるだろうと世の中や社会や教員を舐めてかかってきます。そんな彼らに真剣に向き合おうとすると、心が折れるわけです。ある程度ドライに接するか、心を殺すか、教員もテキトーになるしかないのです。教員も生活のため給料のために日々をやり過ごす手法を身に付けていきます。別にそれが悪いことだとは言いません。

  • 進学の手段にしか過ぎない勉強  
    • 大学に行くためには試験で合格点を取ることが必要です。それ以上でもそれ以下でもありません。しかし試験で良い点を取ることが勉強の至上命題となってしまうと、勉強する目的が外発的動機づけとなり、それ以外はどうでもよくなってしまいます。一定程度の点数が取れてしまえばあとはもう勉強しなくなりますし、またいわゆる受験に使わない捨て科目となるとその授業は内職三昧となるのです。
  • 一方的な板書形式の一斉授業の限界 
    • 知識伝達の効率性のみ追求すれば一斉授業が一番良いでしょう。塾や予備校ならそれでかまいません。また極論を言ってしまえば試験で点を取るためには自学自習が最強であり、それならば講義録や映像授業、AI学習で事足りると思います。どうしても分からない所だけ分かる人に聞けば良いのです。それ故、一斉授業などもう誰も求めていないのです。できる奴、もしくは試験に必要な連中はほっといても勝手に勉強するでしょうし、その教科に全く興味ない者は一斉授業はスリープタイムです。
    • そもそも勉強は自分の興味のある科目を自分が好きなだけ勉強すれば良いのです。それが学問ってものです。しかしながら学校教育となるとそうはいきません。テストで点を取るために勉強するのではなく、その教科を通じて様々なものの見方や考え方を広げさせるのが学校教育の目的の一つとなります。自分の好きなことしか勉強しなければ考え方が偏り視野狭隘となります。学校教育というものは一種の強制力をもつことがその特異性として挙げられます。つまりは様々な教科を学ばせることで広い視野を持たせることができるのです。
    • そのため、教員はベンキョーツマンネという生徒に対して少しでもマァ面白いかもしれんなと知的好奇心を喚起させる必要があるのです。馬を水辺に連れてくることはできても水を飲ませることはできない。水を飲んでもらうように工夫するのが教員の仕事なのでは?それゆえ、ただ知識を伝授するだけではダメなのです。一方的な板書形式の一斉授業など教員の独りよがりなのです。
  • 生徒の文脈に即した授業
    • ではどうすれば生徒の知的好奇心を喚起できるでしょうか?そのためには教員が教壇の上から知識を垂れ流すことを辞め、生徒の所にまで下りていく必要があるでしょう。生徒が生活の中で何に興味を抱いているか。その問題意識が授業の教科とどのようにつながっているか、そして生徒が興味を持っている個別具体的な事例を通していかに一般的社会的な問題にアプローチできるかに成否はかかっているでしょう。