【感想】こづかい万歳42話「今回も狂気回。会社にしか自分の居場所を見い出せない男が社畜ではなく"会社推し"と言う」

日本社会のディストピアを肯定的に描き出すことで有名な小遣い万歳。今回は会社大好きおじさんが登場する。
どの職場にも何故か会社にずっと居残るおじさんが存在しているのではないだろうか。なぜ彼らは会社に残り続けるのか。
彼らは社畜では無く会社員である自分に誇りを持っており、会社のためなら意見具申する規律ある労働者だと言う。
だが読み進めていくと会社にしか自分の居場所を見い出すことができないおじさんの悲哀が明らかにされていく。
勿論これは肯定的に描かれるので、初めて自分の居場所となった尊い場所として会社が賛美されることになる。
けれども最後にはオチがしっかりつき、この漫画の担当編集が会社になんか行きたくないと述べて幕を閉じる。

自分の仕事に誇りを持てるのは結構なことだが、会社大好きおじさんにまでなると狂気

仕事が好きなのでは無く、会社が好きおじさん
  • 小中高と自分の居場所が無く就職先も唯一引っかかった会社しかなかったオジサンが社史を読んで開眼する
    • マズローの欲求にもある通り、人は誰しも自分の所属を持ちたがるものである。また労働をしてカネを得る以上自分の仕事に誇りが持てるのは大変結構なことであろう。だが資本家(雇用者・経営者)であるわけでもなく、使われるサイドの単なる給与所得者に過ぎないのに、会社が大好きでなんかずっと居残るおじさんたちは存在する。なぜそれらのおじさんは会社が大好きでいつまでも会社に残っているのであろうか。今回は会社にしか居場所が無いおじさんが華麗に肯定的に描き出されていく。話の中の会社員は就職するまで自分の居場所を見い出すことができなかった過去を語っていく。小学生時代はお稽古事が続かず少年野球も万年ベンチ、中高も部活に打ち込めず、大学時代はバイトもサークルも中途半端。また最初から会社大好きだったのではなく、就職先も唯一引っかかった余り物であり、配属先の事務職にも不満があったという。そんな彼が開眼したのは社史を読んだことに起因していた。自分と同じ東北地方出身者が苦労をしながら叩き上げとなるサクセスストーリーはおじさんを感動させたのであった。

 

「会社推し」は社畜は異なると会社大好きおじさんは言う
  • いや、社畜ではない
    • 会社大好きおじさんは自分は社畜ではないと言う。社畜は会社に盲従しているだけだと。社畜とは「ひたすら上司のいいなりになって…不満があるのにガマンして…周囲の評価だけをやたらと気にして…会社に飼いならされてしまう……」のだと。そんな社畜像を前にし、会社大好きおじさんはドヤ顔で会社推しをキメる。「会社推し」とは「積極的に会社生活を楽しみ、会社のためだったら改善点を…しっかり意見を言うんです…!!」と。基本的にはイイハナシダナ-と思えるところもあるのだが、後半になってくると怪しさを増してくる。この会社大好きおじさんは、仕事が好きなのでは無く、会社が好きだということがコロナで浮き彫りになってしまうのである。リモートワークにより会社ロスとなったおじさんは、なんと必要も無いのに朝電車に乗ってそのまま帰るというエア出勤を決め、仕事が終わると家から電車に乗り帰宅気分を味わって帰るというエア退社を決める。会社大好き人間ここに極まれりという感じ。勿論、最後にこの狂気と異常性を元のベクトルに戻すべく、オチがつく。この漫画の担当編集が、会社になんか行きたくないので会社推しなど分からないとまとめて綺麗に終幕する。
会社大好きおじさんの所属欲求
担当編集が会社大好きおじさんをバッサリ切ってオチとなる

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