河西英通「「国防と産業大博覧会」の頃」(河西英通編『軍港都市研究Ⅲ 呉編』、清文堂出版、2014年、272-277頁)

  • 本稿の趣旨
    • 呉市主催国防と産業大博覧会誌』を中心に「国防と産業大博覧会」の概略と特徴を述べる。

以下、本文内容まとめ

  • 「国防と産業大博覧会」は戦前呉の一大ページェント
    • 1935年3月27日から5月10まで二河公園と川原石海軍埋立地を会場に開催された
    • 45日間の会期中に70万人の来会者をみた

  • 開催の経緯
    • 1933年4月、呉商工会議所が博覧会開催促進委員会を設立。8月に博覧会開催陳情書を呉市長に提出。
    • 当初は「三呉線開通記念博覧会」と呼ばれた。
      • ←開催時期が三呉線全通の時期に想定していたから。早くて35年5月、1年延期して1936年春とする意見もでていた。
    • 呉線全通記念を捨て「国防と産業」を選ぶ。
      • ←発足した三呉線開通記念博覧会開催準備調査委員会の海軍側委員(呉鎮守府先任副官・呉工廠総務部長・広工廠総務部長)より「真の非常時は1935年の春より秋へ向つて深まり行き、最も日本海軍が劣勢となり、最も危機に瀕するのは同年秋であり国防の重大と非常時の認識を強く国民に呼びかけんとするには必ずそれ以前、即ち昭和十年春季たらしむべきを最も懸命とする」との意見が出たため
    • 開会式も連盟を脱した3月27日とする
      • 他地域にはない「非常時博覧会」を印象付けようとしたため

  • 開催期間における鎮守府開庁記念日(4/21)・呉デー
    • 当日は海軍から呉鎮長官藤田尚徳(後、侍従長)、同参謀長谷本馬太郎はじめ首脳部が出席。市内の官庁・学校・会社などは祝意を表して臨時休業となった(『中国新聞』1935年4月22日「呉軍港誕生日」、同4月23日「呉デー祝賀式典」)

  • 本論執筆者:河西英通氏が着目した博覧会の特記事項
    • ①「アイヌ人種風俗館」
      • 場外興行として設置され、二河公園会場の正面向かって右側。隣は金丸管弦楽大サーカス団、向かいは桐口動物園猛獣使と宮川犬猿サーカス団。
      • 「蓆や獣皮で葺いたアイヌ住居をその儘に模し、北海道辺陲の地に、生活するアイヌ人夫婦と其生活用具を持ち来り、その風俗、生活状態をそのまゝ紹介したもので、アイヌ特有の楽器で奏で、唱う俚謡などは興味深く聞かれ」た。入場料は大人10銭、子ども5銭。
    • ②窮民層の正体と社会的矛盾の一時的な解消
      • 博覧会終了直前に「カード階級」と呼ばれた呉市から救護を受けている窮民層の集団観覧があった
      • 『呉新聞』5月9日付の記事では「博覧会のざわめきも外に生活に喘いでいる」人々が博覧会に招待されたことを報じる
      • 博覧会は呉の社会的矛盾を一時霧消させる機能もあった