新年度における「気持ちの区切り」を描いた作品。戦い続けるための気持ちの維持と刷新。
ウマ娘たちはレースに向けて戦い続けなければならないし、結果を示せない者は学園を去る。
その学園生活はあたかも修羅であるが、だからこそ、新年度に区切りをつけることが肝要。
これはウマ娘以外にも言え、今回のシナリオはトレセン学園が私たちの生きる社会のメタファー。
私たちの生きる社会は他者との競争を前提としており、それはあたかも競馬のレースのようだから。
だからこそ新年度を迎えるこの季節において気持ちの切り替えを主題とする話が投下されたのだろう。
競争を前提とする社会で戦い続ける人々へ新年度における気持ちの区切りを説く
- トレセン学園において戦い続けねばならないウマ娘たち
- 日本では賛否はあれど4月が年度始まりであるのが一般的。しかし競争を前提とするトレセン学園において、レースそのものが終わることはなく、新年度からまた新しい戦いに身を投じなければならない。その学園生活は修羅であり走り続ける限り救いは無い。
- フジキセキが掲げる大義
- フジキセキが主張するのは気持ちに区切りをつけること。一たびトレセン学園に所属すればレースを走り続けなければならない生徒たち。それにはモチベーションを維持することが重要であるのだが、常に戦いに晒されているとそれが常態化してしまい、ズルズルと戦い続けることになってしまう。それ故、区切りが大切であり新たな気持ちを抱く事の重要性が説かれていく。特に3月終わりと4月始まりは区切りをつけるのにちょうど良い季節であり、気持ちの切り替えが肝要とのことであった。
- トレセン学園におけるレースは私たちが生きる競争社会のメタファー
- トレセン学園は私たちが生きる社会そのもののメタファー。ウマ娘がレースを走り続けねばならないのと同様に、私たちも競争社会を走り続けている。この競争は死ぬまで、ウマ娘セカイではトレセン学園を去るまで続く。フジキセキが述べる「どれほど強い子でも、休憩なしで走り続けられない。息をつくタイミング……今日を明日に切り替える区切りがなくちゃ」は心を打つし、シリウスの取り巻きBによる「ズルズルただ走ってて」という台詞は大衆の共感を呼ぶ。