満洲研究

【史料】『満洲グラフ』における京図線・北鮮三港に関する記述

分類 京図線関係 「日満最短交通路の完成へ 拉濱線新設工事」 「日鮮満直通幹線成る」 「満洲鉄道巡り 京図線の巻き」 羅津港関係 「羅津開港祝賀の日」 「日満捷路の大関門・羅津港」 「日本海中心時代来る!羅津港の出現」 「若き大羅津港」 「羅津の双翼 …

【史料】北鮮航路日本海ルートを利用した満洲国の旅行記・紀行文の記述

満洲国の旅行に北鮮航路日本海ルートを使った人々が、どのような心象を抱いたか。 四ツ橋銀太郎『満鮮を旅する』自家出版、1934 山形県教育会満鮮視察団編『満鮮の旅(視察報告)』山形県教育会満鮮視察団、1935 東海商工会議所聯合会視察団鮮満視察団編『満鮮…

【文献サーベイ・史料】満洲国観光における新京訪問者のうち日本海ルートを使用した旅行記・紀行文

満洲国建国後、京図線および北鮮三港の整備により日本海ルートが形成された日満交通路。 最捷経路として着目された北鮮航路であるが、旅行者はどのような心象を抱いたのであろうか。 ここでは旅行記・紀行文のうち日本海ルートを利用したものをまとめた。 新…

【文献サーベイ・先行研究】日満交通における日本海ルートに関する先行研究

満洲国観光における日本海ルートに関する先行研究まとめ 前回、満鉄に関する文献の中から、日満交通路に関する記述を整理した。 だが、環日本海地域がブームになった際に、日満航路を取り上げる研究が盛んに行われたようである。ここでは、日満交通における…

【資料・先行研究】満洲国における観光と交通インフラ

観光と切り離せないのが交通インフラであり、交通網が整備されることにより、アクセス性があがる。満洲国の国都:新京(以前は長春)に至る経路は、満洲国建国以前は2ルートのみであった。すなわち大連航路か関釜航路かである。だが、満洲国が建国されると、第…

【草稿】満洲国の観光 第2章「観光から見る満洲国新京」

【レジュメ】「新京において旅行者はどのような行動を取り、それを通してどのような心象を抱いたか」 目次 1.序論 (1)問題の所在 (2)リサーチクエスチョン 2.本論 (1)日本人が建設した都市 (2)植民地都市としての性格 (3)新京支配の象徴 支配装置としての関…

【資料・先行研究】旧日本帝国植民地遺産観光~満洲国 国都新京編~

先行研究リスト 高媛「記憶産業としてのツーリズム 戦後における日本人の「満洲」観光」『現代思想』29(4)、青土社、2001年、219-229頁 高媛「「帝国後」と満洲観光」(高媛『観光の政治学 : 戦前・戦後における日本人の「満洲」観光 』東京大学、2005年、博…

【史料】満洲国旅行記に見る満洲国三大都市(新京・奉天・哈爾濱)

進捗メモ 史料づくり中。 最初、国会図書館デジタルをそのまま直打ちしていたが、時間がかかりすぎるうえ、17時で大学図書館が閉まってしまう。市立図書館なら20時までやっているが、遠い。早くしないと雪が降ってきてしまう。そのため多少カネがかかるが、…

【文献サーベイ・史料】満洲国の旅行記・紀行文・小説など

高媛(2005)と米家(2014)において満洲国の旅行記がまとめられている。 前者は文化人のみの満洲旅行であり、論証で扱われたのは早大生の一つの日記のみである。 後者は旅程が明確でないものは除かれており、旅行記の中身は分析対象となっていない。 よって満洲…

レポート進捗報告で指摘された点について

先週のレジュメの大半を修正して、今週も別の場所で報告。 一応、ボロクソではなく、建設的な報告会だったと思われる。 以下、指導事項まとめ 観光の目的 戦跡、近代性、異国情緒、歓楽街という4項目の分析であったが、食べ物(味覚)と景勝地という視点もある…

【レジュメ】「満洲国新京の都市観光」

0.これまでの経緯 0-1.修論のテーマ選択 帝国日本と植民地間の「人の移動」 →植民地への「観光」が果たした役割・機能 0-2.満洲国観光に関する先行研究の特徴 (1)観光によって満洲国に対して典型的なイメージが付与された。 ①満洲国の周遊ルートは定型化して…

満洲国観光・先行研究精読(2)「満洲国観光の機能と分類」

~前回までのあらすじ~ 進捗状況報告がボロクソだったので、先行研究を読み返し論点を整理することにした。 今回は先行研究が満洲国観光をどのような機能として位置付けているのかを分類した。 1.満洲国観光による満洲に対する典型的イメージの付与 2.各観…

満洲国観光・先行研究精読(1)「先行研究の論点」

研究進捗状況報告でボロクソだったので、先行研究を読み返し、論点をまとめなおすことにした。 論文の基本は「先行研究分析→リサーチクエスチョン→史料を用いて論証→結論」。 先行研究の問題点を抽出し、リサーチクエスチョンを見直す。以下年代順まとめ。 …

研究進捗状況の報告 指摘点・批判点まとめ

演習で論文の進捗状況を報告すると教授や参加者から山ほど指摘や批判が出る。これはとても有難いことなのだが、精神的にとても疲弊するし、とてじゃないが、論文を仕上げられる気がしない。査読云々以前に、投稿するところにすら辿り着けない。せめて指摘さ…

【レジュメ】「満洲国の国都「新京」は旅行案内やパンフレット でどのようなイメージ像を提示されたか?」

1.今回のRQ RQ 「満洲国の国都「新京」は旅行案内やパンフレット でどのようなイメージ像を提示されたか?」 分析対象 今回分析したのは『南満洲鉄道旅行案内』(1909年12月、1912年10月、1917年1月、1919年6月、1924年9月、1929年12月、1935年4月)、『満支旅…

【地図・資料】新京観光資源総整理(エリア別)

新京の観光資源がどのような役割を果たしていたかを分析するために、地域別で整理した。 旧市街は満洲国建国以前の長春(満鉄附属地・寛城子・商埠地・城内)。 新市街は満洲国建国以後、国都建設計画で作られた地域。 1.旧市街 地図は『国都新京案内』(新京観…

そもそも1930年代~40年代半ばに満洲観光をすることは出来たのか?

①満洲事変と満洲観光の活発化 *1 a.「満洲特需」 1931年満洲事変が起こり、翌32年満洲国が建国された。戦争美談によるラジオ加入数の増加や、各種博覧会、展覧会が開催され、満洲に対する注目が起こり、「満洲特需」とも言われるブームが起こった。 b. 「日…

【史料】各種パンフレット及び観光案内に見る新京に関する記述

※作業中 終わる気がしない 『観光地と洋式ホテル』、鉄道省、1934 「新京」(87-88頁) 「新京は満洲国の首府で、松花江と遼河の両流域に跨る沃野の枢軸に地位を占め、夙に満洲に於ける農産物の一大集散地として知られ初冬から晩春にかけて運パされる大豆、雑…

【タイトルリスト】『朝日新聞』における新京に関する記事

タイトルのリスト化と記事の収集は終わった。 この後は記事を読んで整理・分類・体系化を進める。 1932年 1932年2月18日 東京/朝刊 2頁 「国都は吉林に 省民の熱望」 1932年3月1日 東京/朝刊 3頁 「国都長春の遠大な建設計画」 1932年3月4日 東京/朝刊 2…

『アサヒグラフ』における新京に関する記事

朝日新聞社が出していたグラフ誌『アサヒグラフ』における新京関係の記事 秩父宮が名代として新京の溥儀を訪問した記事(1934年 6月 20日[通常号554号]) 荒木巍の随筆(1939年 10月 11日[通常号831号]) 山田清三郎の新京の冬景色を題材にした詩(1939年 11…

『満支旅行年鑑』に見る国都新京における観光バスコースの変化

※昭和14年版~18年版の『満支旅行年鑑』の分析。昭和19年版はマイクロフィルムを複写依頼中 概要 料金の変化(※小人は大人の半額) 昭和14年及び15年…1円50銭 昭和16年…2円 昭和17年・18年…3円(※満人コースは1円50銭) 観光バス周遊時間の変化 昭和14年、18年…3…

『満支旅行年鑑』に見る「非常時下」における観光事業の正統化について

『満支旅行年鑑』は昭和14年版から昭和19年版まで刊行された。 次第に激しくなる戦局において、観光事業を正当化するために様々な理由付けが行われている。 ここでは『満支旅行年鑑』がどのような論理で旅行及び観光事を正当化したのかを見ていくこととする…

【史料】『満洲グラフ』における新京に関する記述

※作業中復刻版は複数の雑誌を編纂したものであり、発行当時の各巻のページ表記ではなく、復刻版通してのページ数となっている。 『満洲グラフ』復刻版第1巻 「国都建設」(8-9頁)/(『満洲グラフ』第1巻第1号(1号) 昭和8(1933)年9月15日発行) 内容 見開き2頁…

【タイトルリスト】『旅行満洲』(後継誌『観光東亜』、『旅行雑誌』)における新京に関する記事の題目(『日本国内現存『観光東亜』総目次稿』より)

2019年4月刊行予定の『旅行満洲』復刻版の別冊に、解説・総目次・索引が収録される。そのため、それを見てから新京に関する記事を蒐集すればよかったのであろうが、GW明けすぐに進捗報告があるので、刊行を待っていられないという状況であった。そのため、原…

「新京の観光について」(『新京の概況』新京商工公會、1942、106-112頁)

新京商工会から発行された『新京の概況』は建国10周年を記念として出されたものであり、「新京の観光について」という章立てが存在する。新京観光の意義、観光バスのすすめについて述べた後、各項目を立てて、それぞれの観光資源の説明を施している。その観…

【史料】『満支旅行年鑑』における新京の記述について

ジャパン・ツーリスト・ビューロー(東亜旅行社、東亜交通社)から出版されていた『満支旅行年鑑』は昭和14年版~昭和19年版まであるが、そこでは各都市の紹介及び戦跡に関する解説が掲載されている。各版ごとに記述内容は若干異なるが大筋はほぼ同じである。…

『南満洲鉄道案内』/『南満洲鉄道旅行案内』における新京(長春)の記述

『案内』は全部で合計7種類 『南満洲鉄道案内』(『南満洲鉄道旅行案内』)のシリーズは合計7種類発行された。それ即ち、1909年12月、1912年10月、1917年1月、1919年6月、1924年9月、1929年12月、1935年4月のものである。このうち「新京」は1935年4月のみで、…

『満洲グラフ』に見る満洲映画に関する記事

作業中。 満鉄発行のグラフ誌『満洲グラフ』において映画に関する記事はどのような内容だったかを分析していく。 「総務室弘報課映画製作所」(『満洲グラフ』第8巻第3号(通巻68号)、1940年3月号) 満鉄の総裁室弘報課映画製作所の事業紹介。 日本に於ける映画…

帝国日本の「人の移動」研究における戦後再入植について

思いついたアレコレを忘れないようにメモ。 「人の移動」 「人の移動」研究 人の移動から「境界」を問う/帝国崩壊と引揚から戦後日本社会に迫る 細谷亨「人の移動」(日本植民地研究会編『日本植民地研究の論点』岩波書店、2018年)において、近年の「人の移…

日満関係史フィールドワーク(4)「【探索】群馬県における満蒙開拓関連史跡」

群馬満蒙拓魂之塔と東宮鉄男の墓を探索した。 群馬満蒙拓魂之塔(群馬県長野原町北軽井沢) 群馬満蒙拓魂之塔の場所はココ! 場所が分からなくて困ったらgoogleで「36°29'25.6"N 138°35'46.2"E」を検索! 群馬満蒙拓魂之塔を求めて 日中国交正常化により日本に…